2012年11月1日木曜日

『成長の限界』とは何だったのか

1970年代初頭に「このまま経済成長を模索し続ければ、人類社会は破局に直面する」と警鐘を鳴らして、世界的大ベストセラーとなったローマクラブの『成長の限界』だが、40年経った今となってはその予想が尽く外れていたことが明らかとなった。


 やや旧聞に属するが、フォーリンアフェアーズリポート2012年8月号に興味深い論文が掲載されたので紹介。

  デンマークの作家で、コペンハーゲン・ビジネススクールの准教授でもあるビョルン・ロンボルグは、巻頭論文『資源と環境は本当に脅かされているのか』において、世界的大ベストセラーとなった『成長の限界』について「この報告が示した未来シナリオはどう見ても間違っていた」と批判。経済成長しない方が望ましいという考えを明確に否定し、より力強い経済成長こそ人類の進むべき道だと断言している。



ローマクラブ創立者アウレリオ・ベッチェイ  

 イタリア財界の大立て者アウレリオ・ベッチェイが立ち上げたローマクラブは、当代一流のビジネスリーダー、研究者、政府官僚をメンバーに迎え、1972年に『成長の限界』という報告書を発表した。

 マサチューセッツ工科大学(MIT)の教授たちが考案したコンピューターモデルに基づく予測を前提としたこの報告書は、「人類のあくなき欲求と世界の限られた資源は衝突コースにあり、そう遠くない将来に人類社会は運命の時を迎える」と警鐘を鳴らして世界的大ブームを巻き起こし、30カ国以上で翻訳され、1200万部を超える大ベストセラーとなった。

  世界が経済成長そのものを諦め、消費を減らして現在よりも低い生活レベルで社会を均衡させることこそ、唯一の期待だ主張した報告書は、当初あまりにも現実離れしていると考えられ、大きな反発と批判を受けた。

  しかし、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』や、ポール・エーリックの『人口爆弾』によって、環境問題や急速な人口増大で人類社会が崩壊するのではないかという悲観的なムードが蔓延していた時代においては、『成長の限界』の思想が受け入れられる素地が出来ており、さらに73年のオイルショックで原材料価格が高騰したことで、人々は『成長の限界』が正しい未来を言い当てていると感じるようになり、次第にこの憂鬱な予測は『事実』とされていった。

 その後、長きにわたり『成長の限界』は多くの人々に影響を与え続けた。環境関連の話題やCO2削減問題、持続可能な成長論などはすべてこの報告書が発端になっていると言われるぐらいである。

  だが出版から40年経過した現在から見て、やはり『成長の限界』は非常に大きな予測上の間違いを犯したことが明らかになったとロンボルグは言う。 

 例えば、「世界は近い将来に、再生不可能な資源の枯渇という状況に直面する」という予測だ。需要が幾何学級数的に増えていくことを前提に、『成長の限界』は1970年以降、いかに急速にさまざまな資源が枯渇していくかを描いている。結論として、「2012年までに、アルミニウム、銅、金、鉛、水銀、モリブデン、天然ガス、石油、銀、スズ、タングステン、亜鉛が世界で不足するようになる」と予測している。(フォーリンアフェアーズ p.9)

 実際に2012年になって、これらの資源が世界で不足するようになったという話は聞かない。そればかりか水銀は技術革新で消費量が98%も減少し、金資源も枯渇するどころか世界で5万1千トンに達すると考えられている。銅についても世界には7億トンの資源が存在するし、アルミ、鉄、亜鉛、石油、天然ガスなど、その他の資源も同様だ。

  なぜこれほど惨めに予測を外してしまったのか。それは著者たちが「確認済み資源」だけを根拠に計算し、採掘可能な資源が増える可能性を無視したからだという。

 『成長の限界』の著者たちは、世界システムを動かす…最も重要な要因である「人間が何かを発見し、技術を革新していく能力」を見落としていた。(前掲書 p.10)

 カール・ポパー風に言えば、人間の歴史は人間の知識が成長することで大きな影響を受けるが、我々の科学的知識が将来どのように成長するかを予測するのは不可能だから、そもそも40年後の未来を予測するという試み自体に無理があったのかもしれない。

  農業生産に関する予測も完全に間違っていた。世界の食糧供給が破綻する可能性は今のところなく、この40年間で世界で栄養失調に陥る人々が世界人口に占める比率は35%から16%を下回るまでに減少したし、耕作に利用できる土地も67億エーカー残っている。農業生産性の向上も続いている。

  『成長の限界』は地球環境の汚染によって世界が破綻すると予測したが、そもそも汚染が何を示すのか明確な定義をしていなかったし、大気汚染について見ても、屋内の空気汚染で命を落とす人々は先進国ではいなくなった。大気汚染で人々が死に至る危険は一貫して低下している。


 ローマクラブの予測が間違っていた以上、彼らの出した結論─経済成長を諦め、低い生活水準で社会を維持する─もまた間違っていたと言わなくてはならないだろう。絶望的な貧困状態におかれた人々にとっては、経済成長こそが救いであり、解決策である。ロンボルグは『成長の限界』が支持された背景を指摘し、厳しい批判を加える。  

 ローマクラブの診断を支持したのは、生活の基本的必要性への十分なアクセスをもち、豊かで快適な生活を送る主要先進国の人々だった。対照的に、絶望的な貧困のなかで暮らす途上国の女性たちは、家族のために食事さえ満足に準備できない状態に追い込まれていた。理由は、十分な食料が供給されないからではなく、食料を買うお金がなかったからだ。 (前掲書 p.18)

  お金がないから食料を買えないのだとすれば、所得を引き上げることでしか問題は解決できない。そして可処分所得を向上させるには、経済成長による雇用の拡大以外にないのである。 

 結局のところ、貧困が人を死に追い込む最大の要因であり、経済成長がそれを阻止する最大の防衛策だ。 (前掲書 p.18)
 経済成長がないほうが世界にとって好ましいと考えられた時代はすでに終わっている。世界が必要としているのはより力強い経済成長である。 (前掲書 p19)

  まったく同感である。『成長の限界』をきっかけに注目されるようになった環境問題やCO2についても、以上のような視点から再考してみる必要があるのではないか。

  今や『成長の限界』は死んだと宣言しなければならない。経済成長を主張することに良心の呵責を感じる必要はない。力強い経済成長の達成は人類に与えられた倫理的な課題である。

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