2012年3月21日水曜日

続・民間事故調報告書ななめ読み

前回に引き続き民間事故調の報告書をななめ読み。全国が息をのんで見守った自衛隊ヘリ放水の実相とは? そのとき日本の置かれた状況をもう一度考えてみる。

 福島第一原子力発電所では1号機に続いて、3月14日11時01分、3号機も水素爆発により建屋が崩壊した。16日になると、3号機の燃料プールから白煙が発生し、プールからの蒸発量が多いものと推定され一刻も早い水の注入が必要とされた。3月17日、陸上自衛隊第1ヘリコプター団のCH47ヘリコプター2機が消火バケットを使った空中からの放水活動を開始した。放射能被曝の可能性があるため、放水活動を志願制にするという提案もなされたが、自衛隊員からは「隊員はみんな35歳以上で子供もいる。被曝して子種がなくなっても大丈夫」という答えが返ってきた。北澤大臣は「自衛隊員の士気は高く、誇らしかった」と語っている。作業前、9時20分時点でのモニタリングでは高度300フィートで87.7mSv/時という高い放射線量が検出されていた。

 9時48分からは計4回30tの放水を行なった。危険を顧みずに作業にあたった自衛隊員の被爆線量は全員1mSv以下であった。(p.160)

 当時、JB PRESSに桜林美佐さんが執筆した「一体どこから来るのか、自衛隊員の半端ではない使命感」という記事が掲載され、自衛官の士気の高さと死に物狂いの奮戦ぶりがネット上で広く知られるようになりましたが、民間事故調の報告書の記述も自衛官の士気の高さを裏付けるものでした。

 もちろん、この自衛隊ヘリによる放水は「大海の一滴」と評されたことからも分かるように、いわば「打ち水」で急場をしのぐ窮余の策であり、冷却の決め手になったのは民間から供与された「生コン圧送機」でした。

 しかし民間事故調はそのことを認めたうえで、自衛隊によるヘリ放水はむしろ政治的な意義を持っていたことを記述しています。

 放水について、事態の鎮静化にどれほどの効果があったかについては疑問の声がある。確かに空中からの放水ではプールに全量の水が命中したわけではないし、命中した水についても冷却効果は一時的なものにすぎなかった。実際、放射線量はほとんど低下しなかった。しかし黒煙ではなく、水蒸気が上がったことによって、放水しても爆発等の危険はなく、放水すれば効果があることは確認された。より効果があったのは、諸外国、とりわけトモダチ作戦を展開してくれた米国に対して、日本がリスクを背負って原発事故に対処しているところを見せたことだといえるかもしれない。北澤防衛相は「米国は日本が本気になったと高い評価をしてくれた」と語った。また、陸上幕僚監部の幹部も「自分たちがリスクを負わないで、米国が協力してくれるか」と、この放水活動で日本がリスクを負った重要性について力説した。 (前掲書 p.161)

 確かに自衛隊によるヘリ放水が対外的なアピールとして大きな効果を発揮したのは間違いありません。当時、中東のテレビ局アルジャジーラが東日本大震災について時間をかけて報道していたため、内戦の渦中にあるリビアでさえ日本に対する同情心が広がっていたことを時事通信が報じていました。

 とくに米国に対するアピールとして、この放水作戦が効果的だったと民間事故調は報告しており、私もそのこと自体は事実だと思いますが、当時の状況をもう少ししっかり整理・分析してみれば、当然ながら米国には米国なりの思惑があったのだということにも思い至ります。もちろん報告書にそこまで記載する必要はありませんが…。

 三月十六日頃の原子炉内のメルトダウンと温度急上昇によって、大量の放射能の出ることが予測され、東京が一気に危険圏内になったあのとき、アメリカ軍は八十キロ圏外に逃れ、原発の現場の作業に一人の米兵も参加しなかった。米船舶は西日本に移動し、ヘリは三沢基地に逃れた。現場に急行し、放水して危機を防いだのは周知のとおり、わが消防隊と自衛隊だった。自分の国を守るのは外国人では決してない。そのことを我々は肝に銘じておかなくてはならない。

 アメリカは、日本が国家漂流の状態になることがあり得るという可能性を想定内に入れているからこそ、大部隊を派遣したのである。しかし、日本が国家喪失の状態になった後には実力を振るうが、そうなるまでは日本の混乱を冷淡に突き放して放置するだろう。自国兵の被爆の危険をできるだけ用心深く避けながら、極東の地域一帯の政治権力の喪失状態を何とかして回避したいと今も考えている。(p.75)

 別の言い方をすれば、米軍が決して関わり合いになりたくない危険な局面で、自衛隊・消防などが必死に働いて米軍を一時的に蚊帳の外に置いてくれたからこそ、米国としてもやや安堵した思いになり、それが米国側からの評価という形であらわれたとも言えるのではないでしょうか。

 しかし、これはあくまで結果論であって、米国側がいざとなったら日本を冷淡に突き放して放置するだろうという西尾氏の指摘は、今もって正しいのだと私は思います。米国は朝鮮半島有事が勃発したときにも、このような冷淡な態度を取る可能性が極めて高いでしょう。そういう米国の本音を理解し、今後も米国に一定の警戒心を持って接することと、トモダチ作戦に対して感謝の気持ちを持つことは何ら矛盾しないはずです。

 結論としては米国に頼らない「自主防衛」を急げという月並みな話になってしまいますが、その月並みなことを口にすることさえできない、のんべんだらりとした戦後社会の「空気」が原発事故の最大の原因だったということは否定できない事実ではないでしょうか。

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