2012年3月20日火曜日

民間事故調報告書ななめ読み

「福島原発事故独立検証委員会」(民間事故調)は、独自に調査・検証をすすめていた東京電力福島原発事故について「調査・検証報告書」をまとめ発表した。当初、非売品として限定部数のみ作成されたが、各メディアで報道がなされると問い合わせが殺到。「国民の視点からの検証」である報告書を広く世論に訴えたい、とディスカヴァーからの発売が決定。

 民間事故調の報告書がAmazonから届いたので読んでいるところです。まださわりの部分から斜め読みしただけですが、これは十分に読む価値のある本だと思います。この調査に東京電力が協力しなかったのは、やはり企業の姿勢として論外でしょう。

 冒頭に掲載された北澤宏一委員長のメッセージは簡潔にして要を得ており、福島原発事故を目の当たりにして危機感を抱いた多くの国民の気持ちを代弁するものであると思います。以下一部引用。

 この検証の中で、日本の原発の安全性維持の仕組みが制度的に形骸化し、張子のトラ状態になっていることが明らかになりました。その象徴は「安全神話」です。安全神話はもともと立地地域住民の納得を得るために作られていったとされますが、いつの間にか原子力推進側の人々自身が安全神話に縛られる状態となり、「安全性をより高める」といった言葉を使ってはならない雰囲気が醸成されていました。電力会社も原子炉メーカーも「絶対に安全なものにさらに安全性を高めるなどということは論理的にあり得ない」として彼ら自身の中で「安全性向上」といった観点からの改善や新規対策をとることができなくなっていったのです。メーカーから電力会社への書類でも「安全性向上」といった言葉は削除され、「安全のため」という理由では仕様の変更もできなくなっていました。(p.6)

 安全神話に支配される中で、関係者の間に「その場の空気を読んで組織が困ることは発言しない」という態度が蔓延していたことを北澤氏は指摘しています。

 だとすれば山本七平氏が名著「空気の研究」で指摘した、あの日本民族最大の弱点である「空気」─ 戦艦大和をあえて自殺的な作戦に追い込んだ元凶 ─が、またしても日本を危機に陥れたことになるわけで、これは本当に根の深い問題です。

 率直に言って、私はこれまで日本が高度な技術を誇る科学大国だという素朴な信念を持っていました。世界の主要な原発メーカーは東芝(ウェスティングハウスを買収)、日立(GEと原子力事業の会社を設立)、三菱(仏アレバと燃料分野で手を組む)など日本企業を軸に再編されてきた経緯もあります。

 しかし実際に原発の中身を見てみれば、そこには日本古来の、しかも日本最大の弱点「空気」に支配されるムラ社会の構図が拡がっており、しかも技術自体はアメリカのものが世界標準となっていて、本当の意味での国産技術といえるものはなかったわけです。

 こういう現実を目の当たりにした以上、桜井よし子さんのように「日本の原発技術は優秀だ」とサラッと言ってしまうことなど、私にはとてもできません。

 そもそも核大国の多くは原発に先んじて原子爆弾を完成させているわけで、原爆をもたず核実験をしたこともない日本が、核武装もしないうちから原発を作って平和利用などというのは順序が逆なのですよね。

 こういうことも震災発生後2カ月ほどたってから、藤井厳喜さんがご自身のブログで発表された「原発継続は即ち、日本隷従化の継続である」という論考を読んで、初めて気づいたことでした。恥ずかしいまでに自分が無知であったことを、ここに正直に白状しておかなければなりません。

 私が物心ついた頃から国内には原発が存在していました。中学校時代には理科の授業で原発について少し習った記憶もありますが、さして興味も関心も抱かず今日まですごしてきました。そのことを今はとても悔いています。ハッキリ言って、よくこんな危なっかしいものと今日まで共存してきたものだなと思います。

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