2013年7月26日金曜日

【読書】猪木寛至自伝

元気があれば当選もできる…アントニオ猪木氏 読売
比例選で当選した日本維新の会のアントニオ猪木さん(70)は「元気ですかー? 元気があれば当選もできる」と破顔一笑。農業問題などに取り組む決意を述べ、「1、2、3、ダー!」で締めくくった。

 この際白状しますが、私はかつて熱烈な猪木信者だった過去があり、話題を呼んだ猪木詩集『馬鹿になれ』は発売当日に購入して涙を流しながら読みましたし、名著『苦しみの中から立ち上がれ』を古書店かけまわって手に入れたこともあります。

 アントンがスキャンダルに巻き込まれたころ緊急出版された『猪木とは何か?』は愛読書のひとつで、猪木スキャンダルを仕掛けた新間寿とか、佐藤久美子、仙波久幸などはもう、街で見かけたら絶対殺してやろうと思いつめた時期もあったぐらいでした。若かったなあww

 後に某スポーツ系の編集プロダクションで働くようになりましたが、成田空港の喫茶店で行われる猪木さんの記者会見に参加したのは一生の思い出ですね。当時すでに猪木さんは新日本から離れてIGFを立ち上げていましたが、IGFのことはほとんど話さず、ひたすら新日本をボロクソにけなしていたっけww

 で、今回の参院選で猪木さん久しぶりに出馬したわけですが、私は絶対に当選すると思っていました。なんせスポーツ平和党の党首として出馬したとき、猪木さん比例区で100万票(!)取ってましたからね。

 とはいえ、今回当選したからといって、私が猪木さんに政治家として何か期待しているかというと、そういうことは皆無なのです。正直、長年のアントンウォッチャーとしては、今さら政治家になられても、まるで面白くねぇというかね。ンムフフフ(←このへんはわかる人だけわかってくれればいいや)

 人となりを知るには本人が書いた本を読むのが一番というわけで、猪木さんが書いた本。これまで何冊も出てますが、最高傑作はやっぱりこれ『猪木寛至自伝』でしょう。

 この本かなり売れて文庫にもなってんですが、ちゃんと中身を読んだ人どのくらいいるのかなぁ? 実際に読んでみると、そこにはアマゾンのジャングルよりファンタスティックな抱腹絶倒の猪木ワールドが広がっておるのでした。というわけで以下引用!!


今でも、私のことをブラジル日系二世だと思っている人がいるらしいが、私は生粋の日本人だ。(p.10)

 都会の少年だった私も、(※ブラジルで)原始的な生活をしているうちにすっかり逞しくなった。生水を飲んでいるから赤痢などによくかかったが、医者もいないし、放っておくと自然に治ってしまう。(p.42)

 これは笑い話だが、ウブだった私は、海千山千の先輩たちにいろんな洗礼を受けた。
 ある日、先輩たちが「おい、猪木、センズリ知ってるか」と聞くのだ。
 何のことかわからず「知りません」と答えると、「この野郎、しらばっくれやがって」と言われ、ボカンと殴られた。そんなことで殴られてはたまらない。(p.58)

 ブラジルにいたころ、一日の労働が終わると、ドラム缶に沸かした風呂に入る。汗を流して心地よい解放感に浸っていると、どういうわけだかムスコがぐんぐん大きくなってくる。こっちは何の知識もないから、これは異常だと悩みに悩んだ。
「俺は体も大きいから、あそこまで大きくなってしまった…」
 ブラジル時代は自分を慰めることも知らないので、もう、ただただやたらに夢精していたのである。(p.58)

 試合のない日曜日に、モンゴリアンストンパーが自宅に招待してくれたことがある。彼の家には見たことのないほど巨大な冷蔵庫があった。
 それを開けたら、 ものすごい量の人参がぎっしり入っていた。普通の人参である。
 ストンパーはその人参を取り出してはジューサーにかけ、人参ジュースを作る。それを特大のジョッキで御馳走してくれるのだ。
 その気持ちが嬉しくて、私はジョッキで六杯飲んだ。
 そうしたら──翌日から異変が起きたのである。ムスコが元気になってしまい、 三日三晩立ちっぱなしになってしまったのだ。これには困った。試合の時も一向に衰えないのである。試合中にそうなってしまうとどうなるかを想像していただきたい。いやあ、あれには本当に苦労した。(p.81)

 人間、悪いことは重なると言うが、あの頃は本当にロクなことがなかった。新日本の経理に手形や小切手を管理させていたのだが、そいつが経理部長の目を盗んで判子をついて、三億円持って逃げてしまった。あのときは、手形がどこに行ったかわからないし、もう新日本も潰れると思い、ヤケクソになってディスコで踊りまくった…。(p.108)

 あれは藤波が凱旋帰国したときで、私は滋賀県の体育館で試合をした。その頃、倍賞美津子に異変が起きていた。体調も悪いし、奇妙なうわごとを言う。いろんな人が心配してくれて、どうやら霊が取りついているということになった。琵琶湖の行者が除霊してくれるというので、私は美津子を連れて行った。私は試合があるので、除霊には立ち会えなかった。
 試合を終え琵琶湖の畔のホテルに戻ると、美津子の顔がピカピカ輝いているではないか。表情が数時間前とまるで違う。私はホッとした。除霊は成功したようだ。
 私たちは藤波の凱旋祝いのため近くの焼き肉屋に行った。それからホテルに戻って寝ようとしたところ、美津子の様子がおかしい。琵琶湖の中から誰かが呼んでいる、侍の姿をしている人だ、などと言うのである。
 これはまずいと思って、若い衆を呼ぼうとしていたら、美津子が物凄い勢いで廊下を走り出した。部屋は六階で、廊下の端がガラス戸になっている。そのガラス目がけて走って行くのである。
 ガラスを破って飛び出せば転落して死ぬ。私は必死で追いつき、タックルして倒した。そのままのしかかって頬をビンタしたが、まだ正気に戻らない。若い衆たちはどういうわけだか、ドッキリ・カメラだと思って笑って見ている。
 しばらくしてやっと琵琶湖の行者に連絡がついて、行者曰く「強い霊が未練を残しているだけですから、すぐに終わります」とのことだった。実際、それで収まったのだが、あのときは驚いた。(p.222-3)

0 件のコメント:

コメントを投稿