2013年7月30日火曜日

米上院の対中非難決議をどう聞くか

米上院、尖閣周辺などでの中国の行為非難、「けん制決議」採択 FNN
アメリカ上院の本会議は29日、沖縄・尖閣諸島周辺や、東シナ海や南シナ海での中国の威嚇行為を非難し、全ての当事国に平和的な解決を求める決議を、全会一致で採択した。
中国をけん制するのが狙いで、尖閣諸島については、「日本の施政権下にあるというアメリカの認識が、第3者の一方的な行動によって変わることはない」とした。


 この報道を受けて、日本国内で一部喜ぶような反応が散見されたので、それはいかがなものかと思い、つい一言してみたくなったり…。

 この決議でアメリカ側が言っているのは、尖閣は日本の施政権下にあるという「客観的認識」であって、中国が尖閣を攻撃したら米軍が参戦するという「行動方針」ではありませんよね。これは今まで何度も繰り返されてきた「声明」であって、別にありがたくもなんともないことです。

 でも日本人はこう言われると一瞬安心するんですね。「ああ、米国は分かってくれてるんだ」と、そう思ってホッとする。その心理がダメなんだと思うんです。尖閣に限らず、竹島にしても北方領土にしても、国家の主権に関わる問題は日本の自助努力によってしか解決できないでしょう。

 西尾幹二氏がたびたびこういった日本人の甘さ、無意識の依頼心について警告を発していたことを思い出します。3年前に出版された青木直人氏との対談本『尖閣戦争』は、いま読んでも分析の確かさに背筋が寒くなるほど。情勢が追いついた今だからこそ、西尾氏の警世の言を読み直しておきたいところです。

「自衛隊が中国軍と一戦を交え尖閣を死守するなら、アメリカはそれを精神的に応援し、事後承諾するだろう。安保条約とはその程度の約束である」 (p.55)

 日本人の私からすると、「行動方針」でアメリカが必ずしも日本に同調的でないのなら、いたずらに「客観的認識」のほうを強調しないでほしいと思うことがままあるのです。これを強調されると誤解が生じ、日本人を安心させてしまうからです。
 北朝鮮の核実験に際し、故中川昭一氏らが声を挙げ、日本国内で核武装論議が湧き起こったとき、ライス国務長官(当時)があわてて飛んできて、日本はアメリカの核の傘の下にあるという「客観的認識」を示してわれわれを安心させようとした話は前に述べましたが、北の核攻撃にアメリカが核報復をするという「具体的な行動方針」を示したわけではなかった。日本の核武装を恐怖しただけの話でした。やがてテポドンが列島上空を横切ったとき、アメリカの国防長官はアメリカ大陸に届かない核ミサイルには関心がないと言いました。
 じつは、こういうことはたびたび起こったのです。日本の「軍事的努力」がいよいよ必要であるような場面で、アメリカが守っているから安心だという名目上の「客観的認識」を示して、本当に安心かどうかを保証する実質上の「行動方針」をつまびらかにすることがないのは、日本にとってはじつは大変危険なことであります。日本人はこの点でつねにはぐらかされてきました。
 どうせそういうことなら、「客観的認識」はむしろ表立って言い出さないでほしいとさえ私は思います。 (p.66)

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